天野陽三 前代表(元産経出版取締役・正論創刊号編集長・週刊サンケイ編集長)
【財界】ずいひつより 2010(平成22)年
内外コミュニケーション研究会の設立は1974年。今年で35周年になります。マスコミ関連・メディア関連の研究会、勉強会では、おそらく老舗の部に入るでしょう。
当時は、朝鮮戦争特需をきっかけに神武景気、GNP世界第2位と、50年代から60年代にかけ昇竜の勢いで高度経済成長を達成。しかし73年のオイルショックでそれも終止符を打ち、それまでの負の遺産ともいうべき公害事件が深刻な社会問題として騒がれていた時代でもありました。
森永砒素ミルク中毒、熊本水俣病、四日市喘息、新潟水俣病、イタイイタイ病、カネミ油脂事件、島根県と宮崎県の慢性砒素中毒、西淀川大気汚染など、大きな問題が次々起きました。
こうした産業界の危機を憂慮して、当時の木川田一隆東京電力会長、豊田英二・トヨタ自動車社長、福田赳夫大蔵大臣の肝いりで設立されたのがこの研究会です。「企業とマスコミとの意思の疎通を図る」ことを第一の目的にしてスタートしました。これは現在でも変わっていません。
会員は主として企業の広報担当者です。月一回のセミナーの講師は、会員企業の広報の主たる対象となる新聞、通信、放送の政治、経済、産業、社会など各部の部長、あるいは有力週刊誌の編集長。いずれも、前任者と交替したばかりの新部長、新編集長を最優先してお招きしています。講演の始まる前に、講師と名刺交換をしますが、その企業のトップの方と講師が親しい間柄であることがわかったり、郷里の高校の先輩後輩であったり、ひとしきり賑やかな時間を過ごします。これまでに388人(平成22年3月現在)の講師が出席されました。
本誌『財界』の創刊者・三鬼陽之助氏は、戦後、証券取引所が再開されるやいちはやく、「上場企業は公共性と社会的責任から企業情報をどんどん公開すべきだ!」と宣戦布告されました。一方、経済界はマスコミの強大な影響力への認識不足から、その対応に後れをとったことは否めません。
初期のセミナーに出席した会員企業の広報担当者の中には、企業の急場しのぎにスカウトされた新聞記者からの転職者もかなりいました。元記者の広報マンは、攻めの記者気質が抜けず、取材や記事をめぐって講師の社会部長や経済部長と激しく遣り合う場面もしばしば見られました。ある企業に取材に行った記者たちから、「(元記者の)広報応対が無礼だ!」と社長に直訴され、配転になった例もありました。「広報には会社のエースを起用する」という今日の各社の体制からは考えられない話です。
以前のセミナーで「ニュースバリューはあるが、名誉棄損や人権侵害で告訴されるおそれのある記事の取り扱い」について二人の講師に尋ねました。
A氏は「知らせたい記事は法に触れても掲載するが、法治国家だから処罰は甘んじて受ける」。
B氏は「記事による利益と敗訴による損害を計算し、社の利益になると評価される情報価値があれば報道する」。
本音と建前が渾然一体の現実社会では、いずれも正論と言えるでしょう。
当研究会は、この正論を基調としてマスコミ・メディアとの友好的な外交関係を前向きに進めるためのステージだと考えています。